Life with Football

「フットサルを文化にしたい」

#06 元フットサル日本代表 稲葉洸太郎

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第6回となる今回は、ア式蹴球部女子が合同で活動するクラブである文京LBレディースでコーチを務めてくださっている稲葉洸太郎さんにお話を伺いました。 元フットサル日本代表選手である洸太郎さんがコーチとしてサッカーを教える意義、また、フットサルにかける熱い思いを語っていただきました。 フットサルが今ほど広まっていない時代から、フットサル界を支えてきた洸太郎さんだからこそ感じる想いとは?

Profile

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稲葉洸太郎

文京LBレディースでコーチを務める。高校までサッカーに励み、その後フットサルに転向。2004~2016年の間フットサル日本代表として活躍、昨シーズンでフットサル選手を引退した。現在はコーチ、Fリーグチームのアドバイザー・プロモーションディレクター、フットサル場の運営、スポーツアパレルブランドなど多岐に渡って活躍している。

−まずフットサルを始めたきっかけを教えてください。

私はずっとサッカーをしていました。高校サッカー選手権が終わった後、大学が推薦で決まっていた為3学期に時間があったので友達と遊びでフットサルの大会に出たのがきっかけです。それが楽しくて、大学に入ってからもそのメンバーで定期的に大会に出たりしてました。その時は日本フットサルリーグ(Fリーグ)もなく遊びとしてフットサルをしていました。

−その後のフットサルとの関わりはどうなったのでしょうか?

大学3年生の時に急にフットサル日本代表に呼ばれました。そこまでは趣味でやっていましたが、それからちゃんとフットサルと向き合うようになりました。ちょうど三年生のその時は就活の時期だったので、就活するのかフットサルをするのか悩んだのですが、その時点ではまだフットサルのプロもなく、フットサルを選んだらどうやって生活していくのかという感じでした。

そこで、陸上競技などの他のスポーツ選手のように企業に所属できないかと思って一人で企業に所属させてもらうことになりました。

このように自分でハードルを作って、フットサルで生活できる環境を作りました。3年間くらいこのような形で活動していたらFリーグができ、Fリーグでプレーすることになりました。

 

 

−洸太郎さんはフットサル日本代表に何度も選出されていますが、日の丸を背負うことの重みは?

本当に重責です。初めて代表に呼ばれた時、代表合宿はまず楽しくやっていましたが、いざ試合になりピッチに立ち、「君が代」を歌うと鳥肌が立ちました。重みを感じるようになり、そこからはチームに戻ってもその重みを忘れることなくプレーするようになりました。

 

 

−昨シーズンで選手を引退されましたが、引退するきっかけはなんだったのでしょうか?

大学3年生の時に、「フットサルをメジャーなスポーツにして、引退した後はフットサルの番組がある世界にする」という姿を思い描いてフットサルの世界に飛び込みました。

ですが、現実はそのような形になっておらず、想定よりフットサルはまだメジャーではないです。フットサルをメジャーにする為にもっと自分はやることがあり、フットサルを広めたいという思いが強くなりました。

自分が選手としてプレーしているとやれることは狭くなってしまいますし、選手として十分やったなという心境です。

昨シーズンにF2リーグで優勝しM V Pもいただいて、チームを一部リーグにあげた存在であったことで周りからは一部でプレーしているところを見たいと言ってもらいましたが、フットサルの普及の思いが強くなるばかりでした。

フットサルを広めたいという目標は変わらずに、選手という手段をやめ今後はOB選手として、一人の社会人として別角度からフットサル界を盛り上げたいと思っています。

 

 

−昨年までは、フットサル選手としてプレーしながらサッカーのコーチも務めていたと思いますが、その2つを両立することの難しさは何かありましたか?

選手をしている時間と、コーチをしている時間の両方があるので時間をとられそこは大変ではありました。

2016年まで代表としてプレーしていましたが、2012年のワールドカップまではフットサルだけの生活をさせていただいていました。代表を目指し、日本を強くしてワールドカップで結果を残そうと、フットサルを中から盛り上げようとしてました。

ですが、2012年以降は、30歳になった年でもあり一区切り付けようと仕事とフットサル選手を両立しようと思うようになりました。

スポーツ選手として引退したら仕事がゼロになるのが怖くなり、いつ引退してもいい状況を作りつつ楽しくプレーすると言う目標を立てました。

2014年はそれでも日本代表としてアジア大会で優勝することができ、選手と仕事を両方こなしても結果を残すことができました。

 

−サッカーを教えようと思ったきっかけを教えてください。

サッカーのコーチをやろうと思ったきっかけは、小さな局面においてフットサルの技術や考え方がサッカーでも応用できると思ったからです。

フットサルは小さいコートでプレーする為、常に判断が求められ頭を働かせなければなりません。また、フットサルの崩し方をワンツーのようにみんなが知っているようなプレーにすることでサッカーにおける幅が広がると思いました。

ブラジルやスペインなどの海外のように日本でもある程度みんながフットサルを通るという文化を作る為にも今サッカーのコーチをやらせてもらっています。

 

−女子チームを教えることの難しさは?

最初はすごく気を使ってました(笑)このチームは中学生からシニアまでいるのでどんな口調で話せばいいのかなど悩みましたが、今はもう慣れました。

また、女子チームを教えていてコミュニティが凄いと思いました。世代ごとのチームだと限られたコミュニティになりますが、幅広い年代が集まりファミリーのような雰囲気があると人間としても成長できると思います。これは人間形成にとてもいいことだと思いますし、そこに携わせてもらってとてもいいチームだなと感じます。また、何かやろうと言うとみんなでやろうやろうと言う雰囲気になるのでとてもやりやすいです。

 

 

−今後の目標は?

大学生の就活時に決めた「フットサルを文化にする」と言う目標に突き進んでいきたいと思います。選手という手段ではなくなりましたが違う立場から、サッカーの中にフットサルを取り込んだり、Fリーグの若手選手の育成、運営の手伝い、解説などを通してフットサルを盛り上げたいと思っています。

また、ビジネスの世界ではフットサル場の運営や「pantanal」と言うブランドを通して活躍できる人間になりたいと思います。

 

−本日はありがとうございました!

Interviewer

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さわ

2年生。宮城出身。サッカー歴10年、生粋のサッカー少女。ショートカットがトレードマーク。